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お茶漬け観劇記録

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映画「メサイア外伝 -極夜 Polar night- 」感想

 映画「メサイア外伝 -極夜 Polar night- 」の完成披露舞台挨拶つき上映会を6/5に観てきました。

※基本情報以降ネタバレしかないので気をつけて下さい※

 

基本情報

映画「メサイア外伝 -極夜 Polar night- 」

 

公開日: 2017年6月17日公開

原作・ストーリー構成:高殿 円「MESSIAH‐警備局特別公安五係‐」(講談社文庫)
脚本:横山あゆみ、山口ヒロキ

監督・編集:山口ヒロキ

 

cast

玉城裕規 / 中村龍介

 

長江崚行 / 山沖勇輝 / 橋本真一

伊藤考太郎 / 山田ジェームス武

 

赤澤燈 / 井澤勇貴 / 染谷俊之 / 杉江大志

 

中村誠治郎

 

安里勇哉 / 大塚公祐 / 村田充

和興 / ボブ鈴木 / 漆崎敬介 / 小谷嘉一

 

松田凌 / 小野健斗

 

中原裕

大澄賢也

 

[公式サイト記載順・敬称略]

 

あらすじ-----------------

これはかつてテロリストだった2人の最後の物語。

そして究極の平等の実現へ向かう始まりの物語。

 

国家最高機密のスパイ組織、警察省警備局特別公安五係。通称サクラ。

チャーチと呼ばれるサクラ育成期間に集まる新人サクラ候補生達。

サクラとは時に衝突し、時に協力し合ってきた、三栖公俊と周康哉。

かつて反政府組織「評議会」で数々のテロ行為に手を染めてきた彼らは、評議会壊滅後も自らの理想である「究極の平等」を追い求め、様々な組織を渡り歩いていた。

本当の生い立ちを知り、自らの手で実の父親である堤貴也を殺害した周は、心に傷を負い、唯一心を許せる三栖の元で静かな生活を送っていた。

三栖もまた、周を気遣い、見守る気持ちに迷いはなく、二人の生活の為に志倉の元で働く事を決意する。

 

そんな中、新東京市内で連続爆破事件が起こる。新人サクラ候補生である御池、柚木、小暮が調査を開始。

そして一嶋に新人の指導を命じられた白崎は、何も言わずに姿を消したメサイア、悠里を追ってチャーチを脱走してしまう。

三栖は志倉の立ち上げた新しい部署、通称「キンダー」で、周・グエン・衝吾と出会う。

エリートである周・グエン・衝吾は、傍若無人な三栖の態度が気に入らず、不信感を募らせていく。

ぎくしゃくした雰囲気の中、キンダーに集められた捜査官達は、志倉の命により宗教法人『照る日の杜』が関わる未解決事件を追い始める。

 

一方周は、三栖の革命の原点となる事件に周家が深く関わっている事実を知ってしまう。

三栖の革命が自分にとっての理想にもなりつつある周だったが、その前に立ちふさがる周家の罪を突きつけられ絶望感に苛まれていく。

そして新東京市の地下で蠢く北方連合の新たな罠。

 

『照る日の杜』を探る三栖とキンダー、理想と現実の狭間で追い詰められていく周、悠里を追う白崎、初任務に就く新人サクラ候補生、北方連合が放つ新たな刺客、連続爆破事件を追うサクラ―。

 

交わるはずのなかった彼らの道は『間宮レポート』により、新たな「絶望」と「未来」と「戦い」の名の下に1つに集められていく。

引用元:映画「メサイア外伝 -極夜 Polar night- 」公式サイトより引用

 

ひとまず言いたいことはおめでとう三栖公俊、お疲れ様でした。

某演出家先生の言葉を借りてしまうけど、『死ぬ』という出来事は何よりも簡単に、そして大きく人の心を動かすことができる。

今まで人を惑わし引っ掻き回す方がメインの役どころだった龍くんが、この数年続いてきたシリーズで築いた物の集大成を『死』という一番大きな山場で終われたこと、私は純粋におめでとうという気持ちです。

今までメサイアのシリーズの中で、紫微や鋼、最近やった暁でも人の心に残っているのは物語に深く関わった上で散って行ったものたち、工藤達評議会のメンバーや間宮、悠里だと思います。

だからこそ、今作の最後の最後に死んでいった三栖という男は、まごうことなくこの作品で一番のメインの山場だったし、主役だったんだろうなぁと。

正直なところ、玉城くんのお陰でここまで来られたようなものだと思っていたので、こんな大役を仰せつかっていたとは思わず「良かったね」という気持ちにはなりました。

 

 

メサイア外伝 -極夜 Polar night-ってどんな話

メサイアシリーズのスタートからいるオリジナルキャラ(原作にはいないキャラクター)である三栖と周がメインとなったお話。

時間軸は深紅~暁の間に悠里が失踪した時期。

 

三栖と周を中心に、照る日出身新人サクラ2人の生い立ちと敵の新勢力のお披露目…的な感じなんですけど大体舞台でお披露目されてます。

三栖の革命である究極の平等へと至った原点や、周が生きていく意味を見出すドラマ…かなぁ。

メサイアというタイトルを打ち出しながら、メサイアでもサクラでもなんでもない、ただのテロリストから始まった二人がまさかまさかの異例の主役になるというシリーズファンのための映画と言った感じです。

卒業していった先輩メサイアである珀と鋭利がなかなかに活躍するので、過去作ファンも結構楽しめます。

白崎世代のキャラクターはあまり出ず、暁からの新入生3人が割りと活躍するので新世代組のファンは楽しめるかと。

 

ただしメサイアあるある「映画と舞台の矛盾」がもちろん今回もあるので、シリーズ通して観てる人よりそうじゃない人の方がより深く入り込めるんじゃないかな~って思います。

私は数分で舞台作品とは別のオリジナル作品を観ているんだ…と思わされました。それについては後述。

 

映画単体としての感想

メサイア外伝、一本の映画としては割りときれいにまとまっているし観やすいと思いました。。

三栖か周、どちらかの死がなければこの話は盛り上がりにかけてしまっただろうし、前述の通り三栖が死んだことに対しては盛大に「おめでとう」と言ってあげたいです。

三栖も周も、最初期からずっとのことなんですが、ともかく言葉が足りない。

三栖は周が一人で立てるようになるまで、自分が守ってやらなきゃいけないと思っていたんでしょう。

今回明らかになった設定ですが、妹がいたとのことだったので、兄らしい感情の現れだったのかもしれません。

でも幼い頃から誰かに守られたことのなかった周にとっては、それは三栖の重荷になることでしかなかった。

きっとここでお互い思ってることをちゃんと話し合えていれば、周は三栖の元を去ることはなかったし、三栖が死ぬこともなかったんじゃないかなぁと。

でも言い合えないからこそ三栖と周で。

最後の最後までお互いを思ってるのに、すれ違ったまま別れるのは彼ららしいなぁとおもって見ていました。

きっと二人のストーリーは、二人が一緒に生きたまま革命を追うのでも、二人共一緒に死ぬのでもどちらの結果でも陳腐でチープな話になっていたんじゃないかなと思います。

三栖が周に革命の意思を託して、最後にその意思をちゃんと周が「頑張れ」と兄堤嶺二に貰ったものと同じ言葉と一緒に受け取る。

きっとこれは最良の結果だったんじゃないでしょうか。

ED後の周が院長(?)になり、革命のはじまりを告げて観客にその後の余白を想像させる余地があるところもメサイアらしくてよかったと思います。

 

究極の平等とはなんだったのか。

終わってからそれを色々と考えてます。

三栖は「誰もが普通に生きて笑っていられる世界」をと言っていましたが、そんなもの作れるはずがないことをきっと三栖もわかっていたと思います。

では究極の平等とは?

きっと、自分の手で守れる範囲のものを守れるだけの力を得ることだったのかな、と個人的な解釈をしました。

だから自分の手で守れるかもしれない可能性に賭けて三栖公俊は死んでいったのかなぁ。

めちゃくちゃ個人的な意見です本当に。

 

先輩メサイア鋭利、珀。

二人は初期作漆黒ノ章より出ているキャラクターなだけあって、二人の関係性にブレがなく落ち着いて見られます。

個人的には三栖が死んだ後、鋭利が普通の家庭で育っていたら…という仮定の話に対して珀がアクションを起こさないところが好きで。

そもそもの生い立ちが海棠鋭利はサクラになるまで普通の生活をしていて、御津見珀は生まれたときからイレギュラーな生き方をしていた。

珀にとっての普通と鋭利にとっての普通とはまったく別のものなのだろうなと思うと面白いと思います。

 

御池万夜の能力について。

お飾りの御神体ではなく、本当に霊的な力を持ってるとは思わなかったです。

間宮の意思を受けて、降霊?的なことをして有賀に会わせたのかなぁと。

その理由もきっと間宮がうるさいから、とかじゃなくてそれが(御神体として生きてきた上で)当たり前のことだから、とかだったら面白いなと思いました。

今後この降霊的な能力がいかされていくのかはわかりませんが、今まで案外霊的でファンタジーな力を持ってるサクラっていなかったと思うのである意味新しいかもしれないですね。

これが後々今まで出てきたGやネクロマンサーのチップとつながっていくなら面白いけどそれはないのかな。

 

アクションについて

今回もアクションさすがです。

動けるW中村が揃ったこともあり、とにかく見ごたえがある。

アクションシーン、早回しなどなく映っているままのスピードでやっているそうです。

個人的に好きなアクションシーンは三栖とグエン二人の手合わせ(?)シーン。

手数の多さもそうなんですが、寝技に持ち込んでからの細かい攻防を見るのが好きです。

中村誠治郎さんが今回で退場してしまったのが悔やまれます…舞台で戦うところを観たかった。

 

メサイアシリーズとしての感想

ここからはメサイアシリーズとしての感想です。

正直本当に過去作は見てないほうが楽しめると思います。

 

まず最初に、三栖公俊について

メサイア外伝、冒頭数分で三栖は家族が入水自殺したことがわかるのですが、私はこの瞬間過去作を頭のなかで思い返していました。

感想を書く上で、ちゃんと情報をまとめようと過去作「白銀ノ章」と「翡翠ノ章」を見返した上で書きます。

三栖公俊は「白銀ノ章」で周に対して自分の母の話をしています。

その時の演出表現は炎や爆発。

さらに「翡翠ノ章」では御津見琮が三栖に対して「焼身自殺するなんて」という言葉をかけています。

どうしても入水にしなければいけない理由が多分最期の水関係にあるとは思うのですが、そこを設定を変えずにまとめるのがプロの映画監督としての仕事だったんではないでしょうか。

 

白崎護について。

白崎…彼は深紅ノ章で親友高野優太と袂を分かちました。

な の に

白崎は悠里失踪にうろたえたのか三栖に会い「高野に会いたい」と言います。

あんなに盛大に袂を分かっておきながら…確かに白崎は悠里が関わると突飛な行動を取るけれど、高野にあってどうするつもりだったのかがまったく理解できず謎のままです。

高野に会いたいってセリフ必要だったんでしょうか。

 

間宮レポートについて。

完全に蛇足。間宮をこれ以上弄くり回さないであげて欲しい。

間宮は一体何を有賀に伝えたかったのだろう。

有賀はどうして最後まで間宮の言葉を遮ってしまったのだろう。

成長が見えないし、二人共結局何も変わってない姿を見せられただけだったのでは。

 

志倉が三栖の父親…??

突然すぎてマジでビビりますどこに伏線あったのだろう。

志倉が父では?と思う理由は冒頭幼少期の三栖がクマは父親からのプレゼントではないのか?と母に尋ねているのと、ラスト若かりし頃の志倉が三栖宛にサンタとしてクマとメッセージを送っているからです。

これで特に父親じゃないなら本当にクマいらなかったけど父親なんでしょうか。

 

 

 

最後にメサイア影青ノ章、深紅ノ章、そして極夜をみて思っていたこと

さて、映画がやると決まってから半年強でしょうか。

ずっとずっとずっと観るまでは何も言わない、と決めてずっとずっと黙っていました。

でも観たからいいますね。

 

設定統一できないなら映像か舞台かどちらかで統一してください。

 

私、三栖公俊というキャラクターすごく好きでした。

メサイアのキャラクター全員にも愛着があります。

2015年の頭からの全然新規のファンだけど…なんならリアルタイムで最初に見たの影青だけど…。

でも映像作品と舞台作品のブレとズレにもうついていけない。正直しんどいです。

 

 

前述の三栖公俊の家族について、SNSで言及してる人があんまりいなくてびっくりしています。

ちょっと設定が変わった、程度じゃないですよねこれ…。

一消費者として、「メサイア」っていう1つのシリーズの中で、キャラもキャストも統一されてるのに設定が統一されてないのが、どうして許されて受け入れられているのかが理解できない。

作られたものにお金を払ってる以上、文句も言わせてもらいます。

いっそ舞台と映画は別作品です、ってはっきり言ってほしい。

キャラクターと世界観とキャストは一緒だけどメサイア別シリーズですって言ってほしい。言ってたらごめんなさい。もうちょっとわかりやすく注意文書いてほしいです。

 

キャラクターの解釈が自分と違うのは良い。

それはもう公式のキャラクターなんだ、で済ませられる。

けどストーリーがネジ曲がっちゃうのだけはどうしても理解できなくて。

言ったところでどうしようもないでしょ、って言うかもしれないけど、言わなかったからここまでねじれちゃったんじゃないかなってのもあって…。

影青の時、高野の性格があまりにも舞台と違うことにずっと違和感を感じていました。

なんで??ってなってたところにキャストから「ロケハンとか色々があって彼も大変だったから…」って言う話があって「そっか~」ってなってたんですけど、今考えると全然そっか~じゃないしロケハンそもそもキャラの性格が変わったのと関係ないですね。

深紅は深紅で影青+深紅→翡翠→鋼(物語の時系列は影青→翡翠→鋼→深紅)の順で作っちゃってるもんだからもう間宮と有賀の関係性がごちゃごちゃだし、中の組織関係もグダグダ。

このあたりは舞台脚本の方も問題だとは思うんですけどね、なんですり合わせができないんだろう。

 

こういうのもあって、私はメサイアを人に積極的に人に薦めることを辞めました。

作品数が多いのもあるけど、見れば見るほど混乱する作品だから。

舞台作品だけ見て~とか映像だけ見て~!って言うならいいかもしれませんが、それだけだと情報が足りないときもあるし突然説明なしに新キャラ出てくるから困る…。

 

設定を統一して欲しい、ただそれだけのことなんだけど、やっぱりじゃあ見るなよ、とかワガママだって言われるんでしょうか。続いてるだけいいだろって。

映画をはじめて見た時、私が今まで見てきた三栖公俊の人生はなんだったのだろう、とそう思いました。

母親の死に方が違うのもそうだけど、単純に漆黒~白銀あたりの三栖さんが好きだったから、あんなふうに泣いてしまう三栖さんを観たくなかっただけなのかもしれません。

強くあってほしかったというのもただの傲慢なのかもしれませんね。

個人的な思いですが、舞台作品の方を多く見ている影響もあって二人には舞台の上で終わってほしかったなぁというのもあります。

今となってはもうどうしようもないことですが。

作り手である本人たちが満足いってるなら、もういいのかな…。

でもそんなのただの自己満足の作品になってしまいますよね…若手俳優をたくさん使ったチンケな映画になってしまう。

 

何を言いたいのかうまく纏められなくてすみません、でもとにかく設定がウロウロするのが本当に理解できなくて首を傾げながら見るのはもう嫌だなぁとただそれだけです。

この映画を観て同じように思った人がいるんでしょうか。

皆絶賛していて私だけがおかしいのかもしれませんが、これが私の観た極夜です。

 

 数年後にメサイアがシリーズとして完結した時、また観て何か違う感情を持てたらいいなぁと思います。